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第十話 「叛将陶晴賢」

物語

1549年(天文18年)2月、元就は元春と隆景を伴って山口に大内義隆を表敬訪問しました。名目は自身の引退の挨拶(1546年に毛利宗家の家督は隆元が相続)と、長年にわたる厚恩への感謝のための伺候です。

 

義隆は大いに喜び、陶晴賢ら大内重臣たちも、連日のように酒宴を設けて歓待したそうです。このときの様子は『元就公山口御下向の節饗応次第』に詳しく記録されており、アワビ・雉・鴨・鯛など山海の珍味が振る舞われたという記述もあります。

 

しかし、ゲームでは…

 

大内義隆 「今はわしの養女となっておる、亡き内藤興盛の娘を(隆元の)嫁にどうかと思ってな」
毛利元就 「これはもったいないお言葉。しかし、すぐにはご返答いたしかねます」
相良武任 「義隆様のご厚意を受けられぬと申すのかな?」
陶晴賢 「相良、口を慎めい! 隆元殿も気持ちもあるのだ。貴様の出る幕ではないわ!」

 

毛利元就,毛利隆元,吉川元春,小早川隆景,毛利輝元

 

大内家臣団、真っ二つに割れて一触即発ムード。

 

それはともかく、このようないきさつで隆元は、内藤興盛の娘・大内義隆の養女を妻として迎えることになりました。

 

その隆元、毛利が滅ぼした安芸武田氏の遺児・安国寺恵瓊と、ふとしたことから知り合いになります。お互い素性を知らぬまま…。

 

そうこうするうち、ついに陶晴賢(この時点では陶隆房)が決起します。

 

毛利元就,毛利隆元,吉川元春,小早川隆景,毛利輝元

 

大寧寺の変。あの“本能寺の変”にも匹敵する戦国中期の超重大事件です。ゲームでは夜討ちとして描かれていますが、実際は堂々たる(?)軍事クーデターでした。

 

1551年(天文20年)8月20日、陶晴賢は挙兵して旧厳島神主領を接収。従来は変とは無関係とされてきた元就でしたが、近年の研究では、晴賢に積極的に同調して広島湾岸まで勢力を伸ばしたとされています。

 

晴賢の動きに対して大内義隆が何をしたかというと…以下『毛利元就「猛悪無道」と呼ばれた男』からの抜粋です。

山口の町は(8月)23日より騒然となった。「28日にも陶軍が押し寄せる」との風聞が広がり、家財道具を運び出す者も続出したとされる。にもかかわらず、義隆は宗麟からの当主就任挨拶を伝える大友の使者や京都からの上使を招き、連日連夜酒宴に明け暮れていた。27日には能興行を行い、使者たちをもてなしていたというからすごい。一方、晴賢は風聞通り28日に若山城を出陣し、山口へと迫る。杉・内藤軍もこれに呼応した。

要するに、大内義隆は何も手を打たなかったのです。

 

で、その日の正午ごろには叛乱軍は山口に来襲。義隆は築山館を脱出して法泉寺へ、さらに夜を徹して歩き続け、翌29日には日本海側の仙崎にたどり着きました。ここから海路で石見に向かい、妹婿である吉見正頼を頼ろうとしましたが、一行の乗った船は海上で突然の嵐に遭遇したため、石見行きは断念せざるをえませんでした。

 

翌9月1日朝、長門・大寧寺に入った義隆は、追手の陶軍が迫り来る中、嫡男・義尊を従者に預けて落ち延びさせた(翌日捕えられて処刑)のち、自害して果てたのです。享年45歳、「日本の最も有力な王」の無残な最期でした。

 

戦国最大級の下克上を成功させた陶晴賢、元就に「義隆派の安芸国人・阿曽沼氏と平賀氏を討て」との命を下します。史実では、この時点で阿曽沼氏は晴賢派に属していたようですが。

イベント&アイテム

吉田郡山
市にて
  • 町民から三匁玉製法書を入手津田余市を雇う
  • 薬師から小回復の薬を入手
倉庫にて
  • 兵法家から槍製法書を入手
演習場にて
  • 兵士に話しかけて「軽く鍛えておく」を選択すると、経験値+3
武家にて
  • 隆元の妻から仏胴具足を入手(出陣前)
小倉山
酒場にて
  • 老人から甲伏技術書を入手
市にて
  • 薬師に話しかけて金100を貸すと、第十一話で不動破砕薬と一緒に返してくれる
  • 第二話で子供の病気を治すイベントが発生済の場合、宇田島茂造を雇える
民家にて
  • 小倉山・民家の町民→吉田郡山・寺院の男の子→小倉山・民家の町民の順に話しかけると、運気+3
高山
酒場にて
  • 町民から回復酒・松を入手
市にて
  • 竹間貞国を雇う
民家にて
  • 老人から桔梗を入手

合戦

当初の目標は、阿曽沼広秀・平賀広相・平賀隆保の討伐ですが、合戦が進行すると尼子晴久率いる援軍が登場。ここで江田隆連が尼子方に寝返り、勝利条件が「尼子晴久軍の退却」になります。

 

いつものように軍を二手に分けます。一つは主力の騎馬部隊プラス隆元隊。こちらは、阿曽沼広秀→平賀広相→平賀隆保の順に攻撃を加え、城を落としていきます。ただし、阿曽沼広秀と平賀広相に対しては、隆元隊を接触させて説得し、家臣に迎えます。もう一つは、歩兵中心の別動隊。こちらは、江田隆連の旗返城に向かい、城を囲むように布陣しておきます。

 

で、尼子晴久軍が到着すると…

 

毛利元就,毛利隆元,吉川元春,小早川隆景,毛利輝元

 

度し難い愚か者です。この包囲網をどうやって突破できるというのか。結局…

 

毛利元就,毛利隆元,吉川元春,小早川隆景,毛利輝元

 

江田隆連を斃して攻略した旗返城ですが、史実では、元就が陶晴賢にこの城の管理を任せてほしいと願い出たところ、晴賢はこれを拒否して配下の江良房栄を城番に任じました。晴賢にしてみれば、これ以上の毛利の勢力拡大を認めるわけにはいかなかったのでしょうけど、結局この一件が、毛利を大内・陶から離反させる遠因になったと言われています。

 

さて、合戦に戻ります。

 

他の敵軍も大した苦労なく撃破できるはずですが、注意を要するのが、山内隆通の守る甲山城の救援。尼子軍の一部が甲山城攻めに投入されますが、彼らによって甲山城守備隊の一角が潰されるまで戦況を傍観します。そうしないままに尼子の部隊を殲滅すると、山内隆通隊の周囲をぐるりと守備隊が囲んだ状態で動かなくなるため、元就隊が山内に接触できなくなります。

 

尼子晴久軍に対しては、こちらの全軍を集結させたのちに少しずつおびき出して各個撃破していけばOK。楽勝です。