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有田中井手の戦い

背景

「有田中井手の戦い」は、元就21歳の初陣として有名ですが、背景を語る上でキーパーソンとなるのが、大内義興。周防・長門以下7ヶ国を領する名門守護大名ですね。しかし、足利将軍家を中心とする中央政界のいざこざに巻き込まれ、というか自らいざこざの中に入り、1508年(永正5年)以降、管領代として京にとどまっていました。

 

毛利氏は、当時この大内氏に服属した形となっていましたが、同じように大内氏の影響下にあったのが、安芸国守護代の武田氏(当主・武田元繁)。もっとも、こちらのほうは大内氏に侵攻されて、泣く泣く傘下に組み込まれたんですけど。

 

大内氏が在京している間、領国では厳島神主家で後継者を巡って内紛が発生し、また出雲の尼子氏が備後から安芸にかけて触手を伸ばすなど、もめごとが頻発しておりました。

 

そこで大内義興、ともに上洛していた武田元繁に命じます。

 

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大内義興

「おぬし、帰国して、これを平定せい」

 

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武田元繁

「は、はぁ……」

 

ただ大内義興は武田元繁を全面的に信頼してはいなかったのでしょう。元繁を帰国させるに際して、自分の養女を元繁に嫁がせ、離反しないように手を打ったのです。

 

しかし元繁もさるもの。もともと義興に心服しているわけではありませんからね。

 

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武田元繁

(このあたりで守護代としての失地回復。尼子と手を結んで、大内に一泡吹かせてやるか)

 

元繁は、帰国後に速攻で妻を離縁。あろうことか、尼子経久の姪を妻として、尼子氏の支援を背景に大内に対する反抗ののろしを上げました。

 

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大内義興

「あの野郎、ただじゃおかぬ!」

 

まんまとしてやられた大内義興、今度は毛利興元と吉川元経に出陣を命令します。吉川といえば尼子色の強い国人ですが、この時点では大内よりだったんですね。

 

いずれにせよ、出陣命令には応じるよりほかありません。毛利・吉川連合軍は武田氏方の有田城を攻略し、吉川氏傘下の小田信忠を城主としました。

 

対する武田元繁は、有田城奪還を目指して矛先を北に向けますが、そんな中、毛利家は当主・興元の急死という激震に襲われます。

 

これを好機とみた元繁は、1517年(永正14年)2月、山県郡今田城に進出。すぐさま、近隣の国人衆に服属を呼び掛けたところ、守護代の権威になびいた三入高松城主熊谷元直・八木城主香川行景・己斐城主己斐宗瑞が馳せ参じ、兵力は5000余人に膨れ上がったのです。ちなみに、香川行景の弟が元景で、元景の嫡男が光景。己斐宗瑞の子が直之。いずれものちに元就の家臣になります。

 

戦いの経過

1517年(永正14年)

10月3日

武田元繁率いる約5000の軍勢は、毛利氏と吉川氏らの勢力下にある有田城を包囲した。【@】

 

10月21日

武田軍の熊谷元直勢を中心とする600騎が毛利領の多治比に出撃し、民家に放火して毛利方を挑発した。毛利元就はすぐさま多治比猿掛城から150騎を繰り出し、熊谷勢を撃退した。【A】

 

元就は吉田郡山城に救援を要請。弟の相合元綱・桂元澄・渡辺勝・福原貞俊らを主力とする毛利本家の700騎と吉川方の宮庄経友率いる援軍300騎とを合わせて、武田軍に当たることになった。

 

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10月22日

明け方に有田へ進軍した毛利・吉川連合軍は、熊谷元直率いる500騎と対峙した。【B】

 

連合軍は矢による遠距離攻撃で武田軍に対していたが、武田本隊が背後に回って挟撃されることを恐れ、一気に熊谷勢に肉弾攻撃を開始した。元直は連合軍を少勢と侮り、正面からの攻撃に終始した。

 

元直は前線に出て兵を叱咤していたが、一本の矢に額を射抜かれて落馬、宮庄経友に首を取られた。このため、熊谷勢は勢いを失って潰走した。【C】

 

熊谷元直討死の知らせを受けた武田元繁は、700程の兵を有田城の包囲に残し、自ら主力を率いて毛利・吉川連合軍を迎撃した。武田軍は五段構えで鶴翼の陣形をとり、連合軍の包囲殲滅を狙っていた。【D】

 

毛利・吉川連合軍は又打川まで進出しており、籠城していた小田勢も有田城から出て武田勢の後背を脅かしたが、多数の武田勢に攻撃されて後退を始めた。しかし、元就の叱咤激励によって辛うじて踏みとどまり、戦線は一進一退で膠着した。

 

ままならぬ戦況に激昂した武田元繁は、自ら最前線に出ようと騎馬で又打川を飛び越えようとし、これを見た元就は配下の兵に弓の一斉射撃を命じる。
元繁は矢を受けて又打川の水際に転落、毛利方の井上光政によって首をとられた。【E】

 

大将を失った武田軍は総崩れとなって今田城に撤退した。【F】

 

敗残の今田城では、武田家臣の伴繁清・品川信定らが退却して反撃の機会を待つべきと唱えたのに対して、香川行景・己斐宗瑞が再戦を主張して対立。

 

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10月23日

翌朝、再戦を譲らない香川・己斐の両名は手勢を率いて毛利軍に突撃し、討死を遂げた。【G】

 

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