「毛利元就 誓いの三矢」の攻略はこちらで

毛利弘元(もうりひろもと)1466年〜1506年
安芸毛利氏第九代当主で毛利元就の父。1476年に家督を相続する。当時は周防・長門国の守護大名・大内政弘影響下の国人領主であった。大内政弘死後は、その子義興に嫡男・興元と共に従った。明応の政変で失脚した室町幕府将軍・足利義稙を保護した大内氏と、幕府の間で板挟みとなり、心労と酒毒によって39歳で急死した。

 

毛利興元(もうりおきもと)1492年〜1516年
毛利弘元の嫡男。弘元の隠居にともなって8歳で毛利氏の当主となった。安芸国の他の有力国人と国人一揆を締結し、備後国でも国人対立の調停を行うなど、芸備両国の国人リーダー格として活躍した。しかし、隣接した勢力圏をもつ宍戸元源との争いは絶えず、父と同様に心の平穏を酒に求めて24歳の若さで急死した。

 

毛利幸松丸(もうりこうまつまる)1515年〜1523年
毛利興元の嫡男。わずか2歳で家督を継ぐ。このため叔父・毛利元就と外祖父・高橋久光が後見役を務めた。1523年(大永3年)、尼子氏による安芸国鏡山城攻略戦(鏡山城の戦い)に参加し、帰国後病死した。享年9歳。

 

毛利元就(もうりもとなり)1497年〜1571年
毛利弘元の次男。権謀術数をもって中国地方に覇を唱えた稀代の謀将。「戦国最高の知将」とも評される。大内家中の叛乱に乗じて大内領を奪取し、尼子家の内紛を煽って滅亡に追い込んだ。最盛期には中国地方の大部分と北九州にまで勢力を拡大。家督を隆元に譲ったのちも実権を掌握し、次男の吉川元春を山陰に、三男の小早川隆景を山陽に配置して、盤石な支配体制を築いた。

 

毛利隆元(もうりたかもと)1523年〜1563年
元就の嫡男。14歳のとき、人質として大内氏のもとに赴く。大内義隆の「隆」の一字を拝領し、隆元と命名。5年にわたる山口滞在ののち、帰国。24歳で家督を継ぎ、毛利家の注力しつつ、諸合戦でも活躍。また、領内の経済政策にも意を用い、毛利家の勢力拡大を支えた。1563年、尼子討伐の途中、安芸佐々部にて急死した。享年41歳。

 

吉川元春(きっかわもとはる)1530年〜1586年
元就の次男。12歳で郡山合戦に初陣。天才的な武将で「寒中に咲く花」と賞賛された。17歳で母の実家である吉川家の養子となった。毛利氏の発展に尽力し、主に尼子対策を任務として山陰方面の攻略を担当した。1588年、小倉城にて病のため死去。享年57歳。

 

小早川隆景(こばやかわたかかげ)1533年〜1597年
元就の三男。11歳で安芸の豪族・小早川氏の分家の養子となる。1550年には小早川の惣領家も相続し、その全権を掌握した。主として山陽・瀬戸内海方面を統治した。「春になびく風」と称され、父以上の知将とも言われた。1597年、65歳で死去。

 

毛利輝元

 

宍戸隆家(ししどたかいえ)1518?年〜1592年
毛利家臣。元家の嫡子。初め毛利元就と争うが、のちに元就の娘を娶って和睦する。以後、一門衆と同格の待遇を受けた。尼子氏との戦いで大功をあげるなど、諸戦で活躍し、毛利氏の版図拡大に大きく貢献した。

 

福原貞俊(ふくはらさだとし)1512?年〜1593?年
広俊の嫡子。元就の筆頭家老を務め、「正直で表裏なき人」と厚く信頼された。小早川隆景を補佐して山陽方面の経略を行う。元就死後は四人衆の一人となり、当主・輝元を補佐して主家の国政を担った。

 

市川経好(いちかわつねよし)????〜1584年
安芸吉川家の一族。元就の次男・元春を吉川家の当主・興経の養子に迎えるのに尽力した。毛利氏が防長を平定すると山口奉行に任ぜられ、両国の庶政を担った。のちに嫡子・元教が大友氏に通じ、これを謀殺した。

 

熊谷信直(くまがいのぶなお)1507年〜1593年
初め武田元繁に仕えて毛利氏と敵対するが、のち家臣となる。娘が元就の次男・元春に嫁いでからは元春に属し、一門衆として遇された。以降は、元春軍の先鋒を務め、猛将ぶりを発揮した。

 

口羽通良(くちばみちよし)1513?年〜1582年
志道元良の次男。広良の弟。兄・広良の没後、主君・元就に重用され、吉川元春を補佐して山陰方面の経略を行った。元就の死後、重臣四人衆の一人として若き当主・輝元を補佐し、主家の国政の中枢を担った。

 

桂元澄(かつらもとずみ)????〜1569年
桂広澄の長男。安芸桜尾城主を務め、厳島神社を含む神領の監督を担当した毛利家の重臣。謀略に優れ、いつくしまかっせんのさいはすえはるかたに偽の書簡を送って厳島へおびき出すことに成功した。

 

おかた 1499年〜1546年
元就の正室で、吉川国経の娘。彼女の兄である元経の正室は、元就の異母妹の松姫。本名は不明で、法名「妙玖」のみが伝わる。1518年、猿掛城の元就へ嫁ぎ、長男・隆元、長女・五龍、次男・元春、三男・隆景を産む。47歳で死去。

人物情報記事一覧

人物情報−あ〜こ行

あ相合の方(あいおうのかた)????〜????毛利弘元の側室で、元就の異母弟・元綱の生母。正室の死後、杉の方と継室の座をめぐり対立。弘元の死後、毛利家の家督争いに積極的に関わった。興元没後は、尼子氏の力を借りて元綱を当主に据えようと画策。元就と対立した。相合元綱(あいおうもとつな)????年〜152...

≫続きを読む

 

人物情報−さ〜の行

さ坂広秀(さかひろひで)????〜1524年幸松丸の死後、元就に家督相続を要請した15人の宿老のうちの一人であった。のちに元就の異母弟・相合元綱を奉じて謀叛を企てるも、露見して誅殺された。謀叛には尼子家臣・亀井秀綱や石見の国人・高橋氏が関与していたともいわれる。し志道広良(しじひろよし)1467年〜...

≫続きを読む

 

人物情報−は〜わ行

は羽柴秀吉(はしばひでよし)1537年〜1598年信長の家臣として台頭し、中国攻略の司令官に就任。彼の参謀である黒田官兵衛の地盤・播磨に前線基地を置いて、中国経略にあたった。本能寺の変の直後、中国大返しと呼ばれる強行軍の末、明智光秀を討って、信長の後継者となる。ふ福原貞俊(ふくはらさだとし)1512...

≫続きを読む